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トミーアイのブログ
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4月12日15時32分でした。

私は気が向くと小田原城や小田原港、酒匂川で自然を撮るのを趣味としています。

この日は自転車で小田原大橋に来ていました。

めぼしい被写体を探していたら、堤防に植えられた棕櫚の木が花を着けていました。

これを撮ろうとして木に近付いたとき、草の上に落ちていたかわいいメガネを発見。

やがて持ち主が現れるだろうと思い、目立つ場所に置いて移動しました。

花も鳥も少なく、傑作が撮れないまま小田原大橋と飯泉橋の間を行ったり来たり。

もう帰ろうと思って再度、棕櫚の木の側を通りかかったら、なんと、メガネはまだ放置されたままです。

陽が傾き始めて辺りの人影が疎らになってなって来ました。

暫く待って見ましたが、子供は1人もいません。警察へ届けようと思い、お預かりしました。

メガネは翌13日の11時27分に、小田原警察署へお届けしました。



拾得した日時 4月12日(日)16:50頃

拾得した揚所 酒匂川・小田原大橋西岸堤防

拾得した物品 女児用と思われるメガネ1本ケースなし

詳細 ★フレーム

ブランドPETER RABBIT PER-0/サイス48/色3A(赤)/素材セル(アセテート)

 このブランドはメガネスーパー様などで取り扱いかあるようです。

 メガネスーパーのお客様センター様へ、所有者がいらっしゃったら「警察に預けてあります」とご案内して下さるよう、依頼しておきました。

★ レンズ 

プラスティック/マークなし/マルチコート/無色

 度数右S-2.25 乱視なし

    左S-2.25 乱視なし

 PD62mm

キズは殆どありませんが、ネジが緩んでいますから、購入から3ケ月程度の物と思われます。



昨年の夏は酒匂川国道橋の西岸堤防で、お婆さんを拾いました。

すぐに小田原署のお巡りさんへお願いして、急ぎ保護していただきました。

今度はメガネです。酒匂川には色々な物が落ちています。

それにしても、メガネを無<された方、裸眼視力は精々0.4程度でしょうからお困りでしょうね。




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三島大社の神鹿樹

我が家の宗教は神道なので、毎月必ず三島市の「三島大社」に参詣しています。もう25年間欠かさずお参りしているのですから、意外と信心深いのかな?

昨年の四月、恒例の参拝を終え境内を歩いておりました。桜が一段落して、木々は一斉に緑の葉を広げ始めています。

一旦、前の通りに出てから再び大社の最初の鳥居をくぐって境内に戻りました。池の手前を右に折れると大きな石碑が見えます。その左隣の大樹の3mほどの高さに目をやると何と!鹿が横向きでお煎餅を食べている“かわいい顔”が浮き彫りになっているではありませんか!

鹿は神のつかい。三島大社にも神鹿園があって、沢山の鹿が飼われています。

樹に動物の顔が現れるだけでも不思議、それが鹿、そしてお宮の境内、そのお宮には鹿が飼われている。この不思議な一致は何なのでしょう?

それにしても写真①の樹の鹿、②の神鹿園の鹿。そっくりでしょ! 

③は昨年4月、④は今年3月に撮影したものです

三島大社本殿に参拝したあと、神鹿園の鹿さんにお煎餅をあげてから神鹿樹に祈願しましょう。霊験灼か!きっと、願いことがシッカリ叶うと思います。

★戦争中、食べ物がなくてひもじい思いをしている小鹿を見た近くの少女が、母にせがんで芋煎餅を焼いてもらい小鹿に与えました。しかしすっかり弱っていた小鹿は間もなく死んでしまいました。淋しくて泣いていた少女が、ふと小鹿の気配を感じて側の木を見上げると、立派に成長した鹿が少女に貰ったお煎餅を銜えて笑っています。その話を聞いたお母さんは少女に「木の鹿はきっと神様よ。早く戦争が終わるように…ってお願いしてみたら」と話しました。少女が庭の花を摘んで樹の鹿に供し、戦争終結を祈願した翌週に終戦となりました。

★ マーク以下のお話は私の創作で、事実ではありません。でも、そんなメルヘンを感じさせる大樹です。

この大樹に注連縄をはり、お賽銭箱を用意すれば三島大社の収入増は間違いないと思います。(大きなお世話ですが)



この写真は三島市役所さんにも、3/13に送信しました。




トミー・アイ 富永の宝箱

少年時代は比較的裕福な家庭に育ちましたので、当時は珍しかった「子供の写真機」を買ってもらえたのだと思います。最初のカメラはMINETTA。撮った写真も機械も残っていませんが、初めてMINETTAを手にした誇らしさだけは鮮明に覚えています。

次に買ってもらったのが「スタートカメラ(写真1)」でした。但し、写真は当時のものではなく、昭和50年頃に中古カメラ店で購入したものです。






中学の頃、写真部に所属していました。写真部担任でした源馬先生、お元気でしょうか。


よく使ったカメラが「ヤシカ二眼レフ」でした。撮った写真を暗室で現像・焼付をしました。

現像液の中で写真がゆっくり浮き出てくる嬉しさと、氷酢酸の臭い。忘れられません。


「1959年・巽(私の名)が庭で撮影」と記録された、父の写真。空気銃を持っています。一緒に写っている愛犬の名は「チロ」ちょうど半世紀前、私が15の春でした。





初めてのデートにはオリンパスペンを持ってゆきました。ハーフサイズでしたから36枚フィルムを1回装填すれば72枚撮れて便利でした。





手で巻いたネジの戻りでフィルムを自動的に巻き取る。このユニークなカメラが「フジカ」でした。連射が楽にできて重宝でしたが、フィルムの消費量が倍増しました。





極めつけが「フジカ・シングル‐8」 見慣れた景色が映画のように(映画ですけど…)動くのがとても新鮮に感じられました。





べらぼうに重い中古の映写機?を持っていますが、使い方が分からないので一度も使っていません。

煙突様のものは放熱装置でしょうね。全日本活映研究会頒布とあり、鷹のマークに「シンキ」とあります。この機械についてネットで調べても出てきません。ご存知の方は詳報をお寄せ下さい。 





以外にも古いカメラをいっぱい持っています。以降に少しずつご覧に入れます。

又見にきて下さいな。

この欄へのお便りは下記へお送り下さい。
t-tatumi@est.hi-ho.ne.jp




プログができましたお祝いとしてプレゼントをご用意しました。

プレゼント品は「おば様メガネ」。2名の方に差し上げます。写真をご参照下さい。度は入っておりませんが、おしゃれなバイオレット25%グラデーションのカラーレンズをお入れしてあります。タウングラスとしてお使い下さい。尚、ブランドは「ランセル」(写真・上)と「ピエール・バルマン」です。50歳以上の女性にお奨めです。

ご応募は下記のEメールアドレスへどうぞ。件名欄にメガネ希望とお書き頂き、メールスペースに、お名前・メールアドレス・お電話・お歳をお書き添え下さい。

t-tatumi@est.hi-ho.ne.jp

ご応募数が2名以上の場合は抽選になります。当選した方にのみお知らせします。

尚、ご応募頂きました方の個人情報は当抽選にのみ使用し、他への流用は致しません。


締切りは平成21年1月末日です。




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プロフィール
HN:
トミー
年齢:
80
性別:
男性
誕生日:
1943/09/20
職業:
専用車でのメガネ訪問販売業
趣味:
写真
自己紹介:
訪問眼鏡 トミー・アイの代表 富永 巽です。
富永の姓の愛称「トミー」に、眼「EYE =アイ」を組み合わせて“トミー・アイ”と命名しました。創業は2005年の6月1日です。
メガネ店…と申しましても固定した店舗はありません。メガネ店に必要な機械器具と商品をコンパクトにまとめ、専用車に搭載して有名企業様、官公署様、老人介護施設様などを定期訪問して、メガネのメンテナンスと視力測定、展示販売などを行なっています。
白いボディに紺のラインのハイルーフ・キャラバンがトミー・アイのお店です。
私は、地方のデパートのメガネ売り場でメガネの基礎を学び、上京して修行。1978年にメガネスーパーへ入社し、仕入れ・宣伝・総務・お客様センター・法務などを担当しました。平成初期の「メガネスーパー・プロレスSWS」の初代代表でもありました。
定年を越して総務部長を務めておりましたが、体調を崩してリタイア。復調を待って開業しました。人生の殆どをメガネ業界で過ごした「メガネバカ」なのです。
宜しくお願い致します。
写真は下手の横好きです。オリンパスE300で撮った花・鳥・その他で計2万枚近くありますが、傑作は…今のところありません。頑張ります。
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